SNS、制御より透明性

 昨日は、父親の具合がすぐれず病院へ。併せて私も熱があったため一緒に医療機関へ行ってみてもらって、大丈夫とのこと。今日は普通に出勤している。さて今日は色々目に留まる記事が多く、内容も比較的しっかり読むことができた。下記は前半の要約。

 

202年の米大統領選後の展開は世界中の人々に衝撃を与えた。(中略)そしてもう一つの特徴として、常にSNSの動向が注目されたことがある。(中略)(暴言を)発し続けるトランプ氏に対し、アカウントを永久凍結した米ツイッターなど、各プラットフォーム事業者が発信の制限に乗り出した。(中略)

 SNSは誰もが世界に発信できる社会を実現し、「人類総メディア時代」をもたらした。その言論の場であるSNS上の発信を統御するのは政府なのか、プラットフォーム事業者なのか。「デジタル時代の法規制」を考える際に、今回の米大統領選は多くのことをわれわれに投げかけてくる。

 

 この後「滑り坂理論」等に言及し、フェイクニュースがもたらした法解釈の拡大に触れ、結論としては「SNS上の発信を統御するのは政府かプラットフォーム事業者か」という問いにたいして、「私たち一人ひとりが考え、情報を発信し、受信することが大切」という見解を出している。言論に翻弄される個人に還元するのは、あまりにも大きな課題のような気もするが、結局そこに落とすしかないのだろうか。

 

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