御本を頂きました。

 まださっと目を通しただけなので、私的な感想などはお会いした時にお話できればと思っています。私自身はキェルケゴールについては、『死に至る病』や『哲学断片』を一読した程度ですので、この本を読んで勉強すべきですね。格調高い文体には、読んでいて背筋がのびる思いでした。キェルケゴールは広く、根強く読まれています。

 キェルケゴールにとって、思想とは人が真に生きるためのものであり、現実を生きるものである。実存する主体性として自己を自覚し、真に自己となるべく生きるためのものであるからだ。けだし「私にとって問題なのは、私がそのために生き、そのために死ぬことができる真理」を求めることであり、そのために生きることにほかならないから。それゆえ、人は、精神として、自己となるべきであり、すべての人がその課題を負っている、と彼は主張している。少なくとも私たちはそう理解している。たとえば彼は、女性は男性と異なり、成熟した精神をもつことができないといい、また、女性は男性に服従すべきとも語る。「女性とはその概念によれば征服されるもの、男性はその概念によれば征服するもの」(E/O 1,468.)というような表現が出てくるのはその例である。つまり、文字通りにとれば、女性は男性以下の人間にすぎず、決して自己と成りうる存在ではないことになる。しかしその一方で、「男性と女性は神の前に平等」(E R 1844,39)とも語る。


 なぜこうした矛盾が起こってくるのか。

            (森田美芽『キェルケゴールの女性論』創言社、2010年、p.6)

本書は、以上の問題設定について、30年の長きに渡り考察しつづけた軌跡とも言い換えることができます。そして彼の思想の魅力を「その矛盾の深さ、生の両義性、その分裂の深み」と著者は言い表しています。まさにこの言葉にあてはまるような壮大なドラマが作品中に流れていきます。