封建制と契約説

・最近オベンキョウのメモが激減し、誤解されそうなので。

東京というのは、やはり都市の思想で成立しているなーと、最近つくづく実感していた。そんな時に、以下の文章がふと思い浮かんだのであった。私が「何やらモヤモヤとして複雑で表現し難い」と考えていたことを、これだけ簡潔に纏められると…(自分の言葉の拙さに嫌気がさす)。しかし以下の表題に関しては、別の見地から議論を展開することもできそうだなとも思うので、それはまた明日にでも。

この互酬性という原型から、通時的な世代間の相互性と共時的な同世代内での相互性とが、原始共同体が解体して古代国家がつくられたところに分かれてくる。ここで西洋と東洋との分解が見られる。西洋は共時性の倫理の方向に向かった。東洋では、儒教の倫理が例となるが、倫理関係の原型を親子の世代間関係に還元するという観念的な試みが行われた。西洋で近代社会の倫理が確立する過程で、この文化はほぼ完成してしまう。西洋では共時的な相互性だけが拘束力のある倫理だとみなされる。つまり約束とか契約とかの形だけが、拘束力の原型になる。

国家の成立を契約で説明しなければならないという要求が生まれた。それが社会契約説。

社会契約説は、世代間倫理を排除するために、その代役に起用された共時性の倫理形式である。ホッブス、ロック、ルソーという社会契約説の代表的思想家は、その契約が歴史的事実でないことを熟知していた。しかし人々は「そんな原始契約をした覚えはない」と批判した。社会契約説を現実に葬った力は、国家主権の絶対性という観念と歴史主義である。(「現在の人間には未来の人間に対する義務があるか」加藤尚武『現代倫理学入門』P204-219、講談社学術文庫