便利なのはいいんだけどね。

・ネットで、買い物から各種予約など何でもできるのは便利なのだが、何でもかんでも自分でやるようになって、ヒトが行動するスピードもどんどん激しくなり、でそれでいいのかなと疑問に思うことも多い。アグレッシブだよね。いや、自分で無理な日程をたててしまい、予定に強迫的に追われるのが苦手なだけなんだけど。

・ついでなので、上述したような思いを私は「焦燥」という側面から考えていたが、ようは待つことが苦手な自分をそこに発見するのである。

待たなくてよい社会になった。
待つことができない社会になった。
待ち遠しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ちこがれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくなって、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人きたらず……。だれもが密かに隠し持ってきたはずの「待つ」という痛恨の想いも、じわりじわり漂白されつつある。
(鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書、2006年、p7-8)

これは、あれでしょ。最後は「待ちぼうけ」で結ばれていて、語感が整えられているところがいいのです。私がどうも人々が「焦燥感にあふれている」と感じて、疲れる、と思うのは、「『待つ』という痛恨の想い」、から逃れようとする人々の不安の裏返しの姿を見ているからと取ることもできるのでしょうかね。