今日のメモ:市民社会

真面目に勉強。

市民社会とはかつてカントがさまざまの特権を否認し、生得の権利としての自由と平等を「法論」の出発点とし、ヘーゲルは純然たる経済社会として「欲望の体系」と呼んだという双方の議論が示すように、決して一元的な尺度に還元することのできない複雑な人々の集合体を指す言葉である。限定された範囲の市民(=強い個人)から成るかつての市民社会が、政治権力を一手に収めた統治機構としての国家の登場に先行する政治的自律の伝統を有しているのに対し、現在問われているのはそのような前提のない、平等に弱い個人としての市民から成る社会が政治社会に発展する可能性である。例えば情報化社会というものが存在すると仮定した場合、そこでの多層性や多様性の坩堝にのまれるのではなく、そこに漂う情報の波を常に前方へと超えようとする試みの中に新たな市民社会を生み出す契機がある。サーフィンみたいなイメージでしょうか。(M・リーデル市民社会の概念史』以文社、1990.)