雛罌粟(ひなげし)――5.Soiree (夜会)――

kazekaole2009-12-13

当たり障りのないターキーのサンドィッチとヨーグルトを買い、カフェの席に座ると、真紀は、食いつくように美智子を見つめて、言い出しにくいことでもあるかのごとく、めずらしく何やら言葉を探しているようだった。ロングフライトの疲れで食欲もなかったため、カットフルーツが入ったプレーンヨーグルトを口に運びながら美智子は、何?と真紀に問いかけた。

「あのね、美智子。聞いちゃいけないかなと思ったんだけどさ、美智子、どうして恋人つくったり結婚しようとしたりしないの? 大学の時、彼いたよね。」

確かにあまり聞かれたくない話題だった。結婚式前にこういう話しはどうすべきかと思ったが、聞かれたからには、仕方がないかなと思い、躊躇いながら美智子は真紀に話しはじめた。

「徹君のことかな。かなり長い間付き合っていて、お互いに仕事を始めて何年目かの夏に一緒に暮らし始めたのよ。結婚の準備のためにはそれの方がいいって、徹君が珍しく強く主張してね。お互いの家族も知っていたから、私もそういうものかなと思って、その時はすんなりと事が進んで…。でもね、一緒に住み始めて、徹君、ガラッと変わってしまったの。仕事でうまくいかないことも多かったのかもしれないけれど、帰ってきても何も話さない人になってしまって。不具合があるなら、きちんと話して欲しいと何度も言ったのだけれど、まるで関心がないみたいだった…。泣く程に激しい喧嘩をしたこともなくて、何だか対等な人間として見ていないんじゃないかなって、私の方もいつも心のどこかに不安や不満が渦巻いていて。」

「美智子、そんなことあったんだ!知らなかった。相手が徹君だったっていうのも今はじめて聞いたよ。」

真紀は大きな目を更に大きくして、美智子を見つめた。そういえば真紀は美智子たちのゼミの飲み会に何度か顔を出したことがあり、徹のこともうっすらと覚えているようだった。

「…詳しく話すようなことじゃないから最終的なことを言うと、一緒に暮らし始めて、しばらくして、私にも段々分かるようになったことがあったのよ。何が分かったかと言うと、この人は私を愛してはいないんだなと…。」

「……美智子、何だかすごいね。それ。」

「そうかな。愛してないって、女は分かるものだと思うよ。付き合いはじめて何年しても、彼は私のことを、私は彼のことを好きだったとは思うの。だけど、『好き』だというのと『恋』というのと『愛』というのは、やはり違うものだな、と実感したの。そこでね、そのまま結婚の話を進めていいのか、私も迷い始めたのよ。そういうのってやはり相手にも伝わるものなのか、彼がひどく私の家族の悪口を言ってきたことがあってね。」

「でも普通別れないんじゃない。良くない考えかもしれないけど、惰性っていうものだってあるでしょ。」

「まぁ、正直に言うとね、彼の変化も気になったけど、私自身もね……結構敷かれたレールの上をひた走っているような所があるなと。ロボットみたいだとも思ったの。……自己嫌悪がかなりあったのよ。大学行って、就職して何年目かの適齢期で結婚して、妊娠するまでは仕事をして、出産したら子どもを育ててね。仕事もつづけるかもしれない。でもそれは何なのかなって思ったの。私たちはプログラムされた遺伝子を次の時間へ運ぶだけのただの入れ物だろうかって、そんなことを考えたら、孤独でとても淋しくなったの。自分は何なんだろうって思ったの。結婚の準備をしていて苗字が変わったり、本籍や身分証明書が新しくなったりして、何となく不安定になるっていうのとは、またちょっと違った、あ、もちろんそれもあったんだけど、もっと根本的な所でグラグラ自分が揺れていて、追い討ちをかけるように、徹君から今まで聞いたこともないような罵声を浴びせかけられるような事が重なって、ある時、自分の中でプツンと糸がきれた音がして、そのまま入院しちゃったの。気がついたら一人で病院のベットの中にいてさ。その惨めな事ったらなかったよ。でもさ、真紀ちゃん、結婚式の前に、こういう話しをするのどうなのかな」

「……いや、びっくりしたけどさ。でも美智子って変わったところあるよね。プログラムされた遺伝子を次の時間へ運ぶだけのただの入れ物ね…。普通だとそんなことは考えないけど。でもさそれに説得的な答えを見つけられれば、美智子としてはいいわけなんでしょ。美智子、体大丈夫なの?」

「ああ、入院したのが良かったみたい。その後のことは話さなくてもいいかな」

「美智子が元気で仕事を続けてるって事を、素直に良い知らせと取るべきなんだろうね」

「そうだね…。それ程体調が良好というわけではないけど、まぁ、普通に生活はおくれているわけだし、毎日仕事が襲ってくるから、それに対処するのが精一杯で悲壮感はなくて、ただ月日の流れが自分の中では、ものすごく曖昧になっている。それにね、病気の女性と付き合いたい人なんていないのよ。あっと言う間に、色々な噂話に取り囲まれて、陰でクスクスと笑い声が聞こえたり、そのうちに何も感じなくなって、人と会うことも少なくなってきた。だからね、こんなに長く真紀ちゃんと会っていなかったんだなって、さっき自分でもびっくりしたの。」

「…美智子って、大人なんだか、子どもなんだか分からない所あるよね。結構大変だったみたいなのに、そんな呑気に人の事みたいに自分のこと分析してさ。徹さんのことは何も言わないんだね。私から見たら徹さんはなぜ美智子をもっと大切にしないのか分からない。化粧しないせいもあるけど、雰囲気は20代の時のまま時間がとまっているみたい。」

「…ああ、でもね真紀ちゃん、それは真紀ちゃんが私の話しを聞いているからそう思うのよ。私が見ていたものと、徹君が見ていたものは随分と違っていたはずだから、そういう視点のズレみたいなものを手繰り寄せようという勇気が二人には無かったんだと思うの。…でもさ、私は今回真紀ちゃんの結婚式でここまでこれてよかったなって、思うの。そういう時は、素直にそういうことだけを喜ぶべきだと思うよ。」

「そっかー。色んなことあるよね。美智子的に言えば、そういうの『友愛』って言うんでしょ。どっかの国の首相みたい。私も、今回美智子が来てくれたの本当に嬉しいよ。」



――この小説はフィクションであり、実在の人物・場所とは全く関係がありません――